「9・11」から3年、爆心地で追悼の献花
その日
寝転がってテレビをつけると、丁度NHKで中継をしている最中でした。
で、見ているうちに2機目の飛行機が激突。
初めは「リプレイ映像」かな、なんて思っていました。
驚いて友人に電話をかけました。
ニュースは刻々と情報を流しています。
ペンタゴンにも激突したらしい、もう何機か飛んでいる様だ、って言う
報道に、えらいことになっちゃっているな、って云う嫌な肌触り。
始めて「世界の終末」っていうのが現実味を帯びた思いでした。
21世紀が始まったばかりだったので、「はずれた」ノストラダムスの大予言
の事を思い出したり、黙示録の内容を思い出したりしていました。
その日は延々と報道をみていましたが、考えてみればその後もまた変わらない
日常が続いています。
でもそれは「たまたま」大きな影響を受けなかっただけの事です。
「事件」や「事故」や「戦争」には、不幸にも「巻き込まれた」少数の人々と、
「巻き込まれなかった」大多数の人々がいて、それは「忘れようとしても忘れら
れない」人達と、「時々思い出す」人達と云う違いも生んでいるのです。
当時ニューヨークから発信されたメッセージ。
今考えてみれば、「ブログ」ってものの存在を始めてしったのもは「9.11」の
事件がきっかけでした。
僕はそれでもあの日「世界中の大多数が巻き込まれる」世界大戦のような様相に
まで一気に進んでしまわなくて良かったな、とは思っています。
でも、それは、明日にでも「やってくる」気配が濃厚になって来ていますけれど。
関係ないですが9月11日は「公衆電話の日」だそうです。
その日
寝転がってテレビをつけると、丁度NHKで中継をしている最中でした。
で、見ているうちに2機目の飛行機が激突。
初めは「リプレイ映像」かな、なんて思っていました。
驚いて友人に電話をかけました。
ニュースは刻々と情報を流しています。
ペンタゴンにも激突したらしい、もう何機か飛んでいる様だ、って言う
報道に、えらいことになっちゃっているな、って云う嫌な肌触り。
始めて「世界の終末」っていうのが現実味を帯びた思いでした。
21世紀が始まったばかりだったので、「はずれた」ノストラダムスの大予言
の事を思い出したり、黙示録の内容を思い出したりしていました。
その日は延々と報道をみていましたが、考えてみればその後もまた変わらない
日常が続いています。
でもそれは「たまたま」大きな影響を受けなかっただけの事です。
「事件」や「事故」や「戦争」には、不幸にも「巻き込まれた」少数の人々と、
「巻き込まれなかった」大多数の人々がいて、それは「忘れようとしても忘れら
れない」人達と、「時々思い出す」人達と云う違いも生んでいるのです。
当時ニューヨークから発信されたメッセージ。
今考えてみれば、「ブログ」ってものの存在を始めてしったのもは「9.11」の
事件がきっかけでした。
僕はそれでもあの日「世界中の大多数が巻き込まれる」世界大戦のような様相に
まで一気に進んでしまわなくて良かったな、とは思っています。
でも、それは、明日にでも「やってくる」気配が濃厚になって来ていますけれど。
関係ないですが9月11日は「公衆電話の日」だそうです。